AIと量子によるビジネスの未来
2025/12/17
AIの進化がビジネスの在り方を根本から変えようとする中、LLM(大規模言語モデル)開発のような巨大資本プロジェクトとは別に、「自社のデータをいかに活用するか」に注力する日本企業も多いのではないでしょうか。
東芝は、デジタル技術と量子技術を基盤に、社会課題の解決と持続可能な未来の創出を目指しています。その戦略は、島田CEOが掲げる「DE・DX・QX」という進化のステップで構成されています。まず、DE(Digital Evolution)では、ソフトとハードを分離し、Software Defined化を進めます。次に、DX(Digital Transformation)で、データを活用してプラットフォーム化を実現します。そして、QX(Quantum Transformation)により、量子技術を活用した革新的な変革を目指します。
本講演では、量子コンピュータの社会実装に向けた戦略と、それを実現させるためのハードウェアの重要性、そして市場を獲得していくために必要なソフトウェア・アーキテクチャについて紹介。AI時代の次に来る、QXがもたらす未来のビジネスのインパクトを語っていただきました。
スピーカー
- 島田 太郎氏:株式会社東芝 代表取締役 社長執行役員 CEO / 一般社団法人量子技術による新産業創出協議会(Q-STAR) 代表理事
不確実な時代の動きを読む

私は今、「現在存在しない量子マーケットを想像する」というチャレンジに取り組んでいます。
まず、AIの開発によって起こったことを振り返ってみましょう。
2017年にGoogleが「Attention Is All You Need」という有名なホワイトペーパー(Transformerモデルの提案)を出し、その2年後にGPT-1が、さらにその3年後にGPT-3.5(ChatGPT)が発表されました。理論的な手法が提案されてから、わずか5年です。その後に何が起こったかは、皆様ご存知の通りです。
ChatGPT発表前のNVIDIAの時価総額は約9.5兆円でした。それが今や632兆円(*2025年10月時点)。日本のGDPに匹敵する金額になるまで、わずか8年です。

(画像提供:Q-STAR)
実は、量子の世界でも同じようなことが起こっています。
私は東芝の社長として多くの技術を見ていますが、技術には2種類あります。「いつできる?」と聞くと「5年後です」と答え、2年後に聞いても「5年後です」と答える、蜃気楼のような技術。
それとは逆に、時間軸がどんどん短くなっていく技術があります。それがAIであり、そして量子です。
2019年10月、Googleが「量子超越性」を発表しました。これは、量子コンピューターが従来のコンピューターよりも優れた性能を発揮できることを証明した瞬間です。それまでは「大学の先生たちのお遊び」だと思われていたものが、「これは大変なことになった」と変わりました。
この瞬間以降、世界中で量子技術の産業化コンソーシアムが、主に政府の支援や協力を得て設立されました。日本も同時期に、産業界として、コンソーシアム「Q-STAR」を立ち上げました。

(画像提供:Q-STAR)

(画像提供:Q-STAR)
量子コンピューターの可能性
量子コンピュータは何がすごいのか。
物理学者であるうちの研究者に言わせると、「巨大な空間のエネルギーが低いところを、水が落ちるように計算するもの」だそうです。デジタル計算だと端から端まで順々に探さないと「ここが一番低い」と分かりませんが、量子コンピューターは物理現象として最適解を導き出します。だから、とてつもなく速く、直感的です。
量子コンピューターで解ける問題には、「静的な問題」と「動的な問題」があります。
静的な問題は、一度解かれてしまうと答えが変わらないもの。例えば、新材料や新薬の開発です。これは大変なことで、もし誰かが先に高性能な量子コンピューターを手に入れ、考えられる薬のパターンを全部先に計算してしまったら、他の人には何も残りません。その人だけの「総取り」になってしまいます。
もう一つが動的な問題です。これは、瞬間瞬間で常に最適解が変わるもの。金融市場や交通問題などです。これら複雑系の問題は、多様なデータによって最適ポイントがナノセカンド単位で変わっていきます。その巨大な空間での最適化を、瞬時に行う。問題によっては、先に答えを見つけた者が絶対に勝てるわけです。
これを実現するには、膨大なデータが量子コンピュータに通信できる仕組み、つまりサイバーとフィジカルが繋がった世界を同時に考えておかないと、価値が生まれません。

(画像提供:東芝)
量子時代の脅威と防御
もう一つ、問題があります。量子コンピュータが実用化されると、現在の暗号が解かれてしまうことです。
これはもう時間の問題であり、今、世界中で「どう守るか」が競われています。
皆さんはご存知ないかもしれませんが、「タッピング」という方法を使えば、現在の暗号化されたデータも比較的簡単に盗むことができます。そして今、それらのデータを盗み出し、「ハーベスティング(収穫)」して、量子コンピューターが完成するまで待っている人たちがいるのです。
これに対抗するのが「量子暗号通信(Quantim Key Distribution:量子鍵配送)」です。これは、量子の光子の上に暗号鍵を乗せて運ぶ技術で、物理法則によって、絶対に盗聴ができない仕組みです。
東芝は2020年10月からこの事業化を決定し、現在世界中で展開が始まっています。

(画像提供:東芝)
日本の量子戦略:「1000万人利用」の目標
これらの状況を踏まえ、日本政府と一緒に量子技術の産業化戦略を作ってきました。様々な戦略が策定されましたが、とにかく高い目標を掲げなければいけません。
『2030年に、国内の量子技術の利用者を1000万人にする』
それも、「自分が量子技術を使っていると知らないで使える状態」にすること。
なぜ1000万人かというと、日本の人口の約10%です。10%を超えるとパーコレーション(爆発的な普及)が起こります。スケールフリーネットワークです。
量子技術を意識せずに使える状態にする。これが、我々が目指す「クオンタム・モーメント(量子の時代が来る瞬間)」です。
もう一つ、「未来市場を切り開く量子ユニコーンベンチャーの創出」も目標に掲げ、さまざまな支援を行っています。

(画像提供:Q-STAR)
量子コンピューター開発の最前線
では、量子コンピューターの開発は今どうなっているのか。
ものすごく単純に言うと、「10の6乗(100万)量子ビット」に到達すると、実用的な量子コンピューターになると言われています。
4年前、大学の先生は「それは2050年だ」と言っていました。
しかし、今、世界の企業が公表しているロードマップによれば、2027年あたりからそれを超えていくと言う企業が数社あります。現在のコンセンサスは、「おおよそ2030年頃には、それなりのものができる」というものです。
技術革新は凄まじい勢いで進んでいます。実は昨日も、Oxford Ionicsの研究者たちがすごい発表をしました。量子の最大の問題はノイズなのですが、その忠実度(フィデリティ)で「99.9999%」を達成したという論文です[*1]。これはとてつもないブレイクスルーであり、こんなことが3ヶ月ごとに起こっているのです。

(画像提供:Q-STAR)
Q-STARと日本の戦略
量子技術がもたらす経済効果は、2035年までに約300兆円[*2]と予測されています。
我々は、その産業化を目指す「Q-STAR」を設立しました。現在130社以上が加盟しており、特徴はその6割以上がユーザー企業であることです。
量子コンピューターが世に出てくる時代は、デジタルの時代と同じ経路を辿ると私は思っています。

(画像提供:東芝)
皆さん、MS-DOSを覚えておられますか。その後Windowsが出てきました。正直に申し上げて、必ずしも一番良い製品が市場で勝ったわけではありません。もっと安定したソフトウェアもありましたが、Excelのような「使えるアプリ」をいち早く開発したところが、世の中のシェアを取っていきました。
今、量子の世界はまさにその状態。MS-DOSが出るか出ないか、という段階です。「量子で何ができるんですか?」と聞いても、いまいちみんなピンと来ない。
ですから我々Q-STARは、ユーザー企業と「こんなことができたらすごくないですか?」というユースケースを多数作っています。この点においては、世界的に見ても日本が一番先頭を走っています。
大学の先生が考える「こんなのが解けるよ」というユースケースは、「それ、何の役に立つんですか?」となりがちです。我々は、産業界の「これができたらいいんだけどな」というニーズをまとめています。
それらを実際に試せるテストベッドとして、産総研に「G-QuAT(量子・AI融合技術ビジネス開発グローバル研究センター)」を作りました。世界中の量子コンピューターを集め、テストできる環境を整備しています。

(画像提供:Q-STAR)
そして一番大事なのが、ソフトウェア・アーキテクチャです。
我々はこれを日本で整理し、今、IEC(国際電気標準会議)に標準として提案しようとしています。
結局、ここのサービス・レイヤーを握れなければ、デジタルの時代と同じです。量子コンピュータというハードウェア自体は、いずれコモディティ化します。そのサービス・レイヤーを握った者が、次の時代の重要な役割を果たすことになるのです。
QKD(量子暗号通信)も、世界中で防衛応用や社会実装が進んでいます。
今年は国際量子科学年と宣言されています。我々は、この年を「量子のブレイクスルーを行う、産業化元年」と位置づけ、政府と一体となって進めています。
量子技術の社会実装へ向けたメッセージ
最後に皆さんに申し上げたいのは、「量子コンピュータ」と聞くと難しそうだな、と思われるかもしれません。
しかし、難しい部分はコアの、下層にあります。皆さんが触れるのは、MS-DOSであり、ソフトウェアであり、アプリです。
今、早稲田や慶応、東大などでハッカソンを行うと、学生たちが量子コンピュータを使って「履修登録を最適化する」といったプログラムを作ってきます。最適化の実装はなかなか難しいんですよ。「あの先生の授業は取りやすい」とか、「この授業を取るとキャンパス間を行ったり来たりしないから楽だ」とか、そういうものを作ったりする人もいます。
このソフトウェア・レイヤーで先行して市場シェアを取ることができれば、今のLLM開発のようにレッドオーシャン化している市場とは別に、新たな市場を開くことができるのではないかと思っています。
ちなみに当社は今年、150周年を迎えました。ネクスト150周年に向けて、新たな技術に挑戦し続け、世界に輝く東芝を見せていきたいと思います。
「人と、地球の、明日のために。」
ご清聴ありがとうございました。

まとめ
東芝・島田CEOは、「量子トランスフォーメーション(QX)」の時代が、我々の想像を遥かに超えるスピードで迫っていることを、AI開発によるNVIDIAの株価の爆発的上昇を例に示しました。
2017年のAI論文からわずか数年でChatGPTが登場したように、2019年の「量子超越性」の証明から、実用化は2030年頃と予測され、技術革新は3ヶ月ごとに起きていると警鐘を鳴らします。新薬開発のような「静的な問題」での勝者総取りリスク、金融のような「動的な問題」での瞬時の最適解、そして現行暗号がすべて解読される脅威——。
この「クオンタム・モーメント」に備え、東芝・島田CEOが牽引する「Q-STAR」は、2030年に1000万人が無意識に量子技術を使う未来を目指し、産業界のユースケース創出とソフトウェア・アーキテクチャの標準化を急いでいます。
本講演は、量子がもはやSFではなく、MS-DOSの黎明期と同様に、ハードウェアではなく、その「サービス・レイヤーアプリ」をいち早く掴んだ者が次代の覇者となることを強く印象付けるものとなりました。
[出典]
*1. Oxford Ionics. Blog “Accelerating Towards Fault Tolerance: Unlocking 99.99% Two-Qubit Gate Fidelities”. October 21st, 2025
*2. Mickensey & Company. “Steady progress in approaching the quantum advantage”. April 24, 2024.
