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医療・福祉・介護分野の社会課題を解決するスタートアップ、行政との共創で拓くグローバルな成長軌道

2026/03/27

グローバル市場で競争力のあるスタートアップを育てようとする機運が日本各地で高まる中、東京都が推進するスタートアップ支援施策が「キングサーモンプロジェクト」です。このプロジェクトは、スタートアップと東京都が抱える行政課題をマッチングし、都政の現場を活用した協働プロジェクトを行う画期的な取り組みです。

Plug and Playは今回、本プロジェクトに採択された株式会社Ashirase(以下、Ashirase)と株式会社Magic Shields(以下、Magic Shields)の2社を取材しました。医療・福祉・介護分野で社会課題解決に挑む両社が、行政との協働を通じてどのようなプロジェクトを行い、どのような成長機会を得たのか。そして、海外展開を見据えた今後の事業展望についてお話を伺いました。


【株式会社Ashirase】ビーコン不要の屋内ナビゲーションで、誰もが迷わないインクルーシブな社会へ

設置コストが阻む屋内バリアフリーと、移動困難者のペイン

株式会社Ashiraseは、「人の豊かさを“歩く”で創る」をミッションに掲げる、本田技研工業発のスタートアップです。同社はこれまで視覚障害者の歩行支援デバイス「あしらせ」を起点に、屋外の移動を支えるナビゲーション技術を提供してきました。利用者からの「GPS電波の届かない屋内でも自由に移動したい」という声をふまえ、今回東京都庁を舞台に、新たな屋内ナビゲーションアプリ「IndoorFlow」の導入プロジェクトを実施しました。

東京都庁のような広大で複雑な構造を持つ大規模公共施設では、初めて訪れる来庁者や視覚障害者にとって、館内の動線や目的地までのルートが把握しづらいという課題があります。これまでの屋内ナビゲーションは、施設内にセンサーやビーコンなどの機器を設置する必要があり、大規模施設では数千万円規模の初期コストや継続的な運用費が課題とされてきました。

スマートフォン一つで完結する「IndoorFlow」

この課題に対し、Ashiraseが提示したソリューションが、屋内ナビゲーションアプリ「IndoorFlow」です。スマートフォンのカメラや既存の環境データを活用することで、インフラ設備の工事を一切行うことなく、現在地を高精度に把握し、ナビゲーションを提供します。同社が視覚障害者向けデバイスで培ってきた誘導技術と、使いやすさにこだわったUXが活かされています。スマートフォンのみで完結するこのナビゲーションシステムの利点について、香山氏はこう強調します。

「よく『インフォメーションで道案内を訊けば良いじゃないか』という意見を聞きますが、視覚障害者の人はそもそもインフォメーションがどこにあるかがわからないのです。通りがかる人に声をかけてサポートしてもらうことへの心理的ハードルも高く、またその場に都合よく人がいるかどうかもわかりません。『自力で目的地にたどり着ける』という選択肢を持てることは、外出への不安を軽減し、行動範囲の広がりにもつながります。」

(画像提供:Ashirase)

多様な当事者によるフィールドテスト

今回のキングサーモンプロジェクトでは、東京都庁の第一本庁舎・第二本庁舎の1階および2階オープンスペースを対象エリアとしてユーザー体験が行われました。エレベーター、トイレ、郵便局、展示ホールといった主要な目的地までの最大4つのルートを設定し、視覚障害者36名 車椅子利用者6名が実際にIndoorFlowを体験するテストが実施されました。

(画像提供:Ashirase)

利用後のアンケートでは目的地到達率100%を達成し、「ひたすら感動」「迷うことなく行けた」「今すぐ毎日使いたい」といった極めて肯定的なフィードバックが相次ぎました。

特筆すべきは、視覚障害者だけでなく、車椅子利用者にとっても大きなメリットがあることが明確になった点です。車椅子利用者は日常的に、エレベーターの位置が分からなかったり、目の前まで行ってから段差に気づいたりするなどの予期せぬ困難に直面しています。事前のルート情報があることで、こうした移動の無駄を省けるというメリットが浮き彫りになりました。

(画像提供:Ashirase)

行政のサポートが後押しする、バリアフリーモデルの社会実装

多様なバックグラウンドを持つ人が訪れる公共施設は、インクルーシブな環境整備が求められますが、新しいテクノロジーの導入には前例踏襲の壁があることも事実です。だからこそ、行政が主導して「都政現場をフィールドとして提供する」というサポートは、社会実装を加速させる上で強力な後押しとなります。都庁という公共施設でプロジェクトを行えたことで、「民間企業とのコラボレーションでは得られない社会的な注目と信頼を獲得できた」と香山氏は語ります。

「都庁という場所柄、区議会や都議会議員の方々の訪問も多く、その方々が実際にユーザーテストの現場を目にすることで、Ashiraseの存在や社会課題、利用者の得られる効果を認識してくださることにつながりました。何より、東京都が採用しているソリューションであるという事実は、海外でも信頼できるサービスであるという分かりやすい証明となり、話がスムーズに進みます」

同社は、2025年6月に欧州最大級のテクノロジーイベント「VivaTech 2025」で公式注目スタートアップに選出され、歩行ナビゲーションデバイスの体験ブースを出展するなど、海外展開に向けた種まきを進めています。

3月からオーストラリアでの販売を開始し、5月にはヨーロッパでの医療機器認定取得と事業開始を予定しています。ドイツなどの公的医療保険の対象となる国々では公共医療機関への導入を狙い、将来的には広大な屋内空間を持つアメリカ市場への展開を見据えているそうです。

海外の歴史的な建築物や大規模な駅・空港などでは、景観保護や構造上の問題から、ビーコンなどの物理的な設備を新たに設置することが難しいケースが多々あります。Ashiraseの『設備に依存せず、スマートフォンのみで完結する』というアプローチは、グローバル市場においても強力な競争優位性を持つと考えられます。

「今回の協働プロジェクトでの経験は、我々の事業を一つ上の次元へと引き上げてくれました。技術起点ではなく、現場の課題起点でソリューションを磨き上げることが、結果としてグローバルに通用するサービスに繋がると確信しています。Google Map以前の屋外空間のように、今はまだデジタル化されていない屋内空間をデジタル化し、誰もが自分の力で行きたい場所に行くことが当たり前になる世界を作りたいですね」と香山氏は展望を語りました。

 

(画像提供:Ashirase)

【株式会社Magic Shields】医療現場の転倒骨折をゼロに。「ころやわマットセンサー」がもたらす安全対策の革新

株式会社Magic Shieldsは、転んだとき“だけ”柔らかくなる衝撃吸収フロア&マット『ころやわ®』を開発するスタートアップです。自動車工学をベースにした「メカニカル・メタマテリアル」を使用した同社の製品はすでに1,000を超える施設に導入されています。今回、同社はキングサーモンプロジェクトを通じて、医療現場における新たなセンシング技術のプロジェクトに挑戦しました。

年間2兆円規模の「転倒骨折」問題

高齢者の転倒による骨折は、寝たきりやそれに続くさまざまな健康問題につながる深刻なリスクです。Magic Shieldsの下村氏は、その危険性を次のように訴えます。

「高齢者の3人に1人が転ぶし、私たちは全員年を取る。転んで骨折して寝たきりになってしまうことは、本人のQOLを著しく低下させるだけでなく、ケアする人たちにとっても大変な課題です。転倒骨折に関連した医療費・介護費を合わせると日本全体で約2兆円の費用がかかっています。また不足している看護師や介護士の業務の負担も非常に大きいものがあります。」

東京都だけでも、転倒による大腿骨骨折に関連する医療費・介護保険料の負担は年間約100億円規模に上ると推計されています。また、骨折事故が起きれば、一つの病院だけで年間数千万円もの対応費用と膨大な業務負荷が発生してしまい、医療現場における人手不足や労働環境の悪化にも直結しています。

現場の負担を可視化し、経済合理性を証明

『ころやわ』は、日常の歩行や車椅子の移動時には固さを保ち、転倒したときだけ柔らかく変形して衝撃を吸収するという、相反する特性を両立させた画期的な床材です。今回のプロジェクトでは、このマットに「センサー機能」を追加した『ころやわマットセンサー』を投入しました。ベッド周辺への滞在検知や検知時刻の記録機能を持たせることで、転倒の予防と医療スタッフの見守り負担軽減を同時に実現するアプローチです。下村氏はこのセンシング技術について「カメラと違ってプライバシーの面でも優位性がある」と、競合技術と比較した際のメリットを強調します。

今回のキングサーモンプロジェクトでは、東京都立多摩総合医療センターの病室にセンサーマットを設置し、患者の転倒による怪我のリスク低減に取り組みました。従来の『ころやわ®』が持つ「歩行安定性」と「衝撃吸収性」の両立に加え、今回は「ころやわマットセンサー」として、マット上での滞在検知や検知時刻の記録機能といったセンシング技術を新たに実装。協働プロジェクトは、1月下旬から約1ヶ月強の期間行われました。病棟の80床にセンサーマットを導入し、患者の転倒による怪我のリスク低減効果と、看護スタッフの心理的・業務的負担の軽減度合いを検証しました。現場の看護師の皆様から多くのフィードバックをいただけたことが大変有益で、今後の製品開発におけるヒントを得ることができました。

限られた実証期間であったため、事故そのものの減少の証明には至りませんでしたが、本プロジェクトはすでに「現場の実態の可視化」という副産物を生んでいます。「病院自身も把握できていなかった、看護師さんたちによるベッド周りへの移動が1日に何回あるのかといった実態が明らかになってきた」と下村氏は語ります。

(画像提供:Magic Shields)

行政との連携による信頼性の担保

医療という人の命に関わる厳格な領域において、行政のバックアップは協力なパスポートとなります。下村氏は「行政からの紹介があると、現場との共創へのハードルが大きく下がります」と述べています。

「医療機関は、患者様の命と安全を第一に考える非常に厳格な現場です。そのため、いくら優れた新しいテクノロジーであっても、実際の医療現場に導入していただくには、『実績』と『信頼』という高いハードルを越えなければなりません」

多忙を極める医療現場は、日々開発される新しい機器やシステムに対するニーズはあるものの、その導入にあたっては、病院側にとって一時的な負担増となります。しかし「都の推奨するスタートアップ」という技術に対する信頼感があったため、多摩総合医療センターもMagic Shieldsのプロダクトの受け入れを前向きに検討することが可能になりました。同社は今回のプロジェクトを通じて、病院および東京都の双方にとって「医療費・介護費の大幅な削減」という経済合理性が高いソリューションであることをアピールしていく構えです。

同時に、下村氏はモノづくりに関わるスタートアップにとって、開発室の中だけで完璧な製品を作ることは不可能だとも言います。

「医療や介護という現場のプロフェッショナルの方々と共に、実際の利用環境でトライアンドエラーを繰り返すことでしか、本当に使えるプロダクトには進化しません。東京都という行政の力強いバックアップを得て、都立の総合医療センターという大規模な現場で協働プロジェクトを行えたことは、製品の有効性を証明する上で計り知れない価値があります。プロジェクトを通して、私たちが目指す『すべての人が転倒を気にすることなく、自分の意思で自由に動ける』社会の実現に一歩近づいたと感じています」

(画像提供:Magic Shields)

単に衝撃を吸収するだけでなく、滞在検知などのセンサー機能によって医療スタッフの巡回負担や見守りの労力をいかに軽減できるかという定性的な変化を、実際の病室という極めてリアルな環境で検証できたことは、今後のサービス強化に向けた大きな学びとなりました。

デンマークでのPoCを経て加速する欧州展開

転倒による骨折とそれに伴う医療費の高騰は、日本特有の課題ではなく、高齢化が進む先進国共通のグローバルな社会課題です。Magic Shieldsはすでに海外6カ国での売上実績を持ち、福祉先進国のデンマークではユーザー参加型のPoCを進めています。日本国内において、500床以上の病院施設の約4分の1に導入しているという実績と、今回の多摩総合医療センターでのセンシング技術の実装成果は、海外市場にアプローチする上での強力な武器になります。東京都という世界有数の巨大都市での実証実績は、海外大都市への展開においても強力な武器となります。同社は今後、センサーから得られる膨大なデータを活用し、病気の対策や業務効率化に繋げる「フィジカルAI」領域への進出も見据えています。

「ころやわを世界標準にしたいんですよね」と下村氏はビジョンを語ります。高齢化社会である日本発のイノベーションの輸出が期待されています。

行政とスタートアップの連携が生み出す、次なるイノベーション

今回取材したAshiraseとMagic Shieldsの2社は、いずれも「現場の強烈なペイン」に寄り添い、確かな技術力でそれを解決しようとしている点で共通しています。キングサーモンプロジェクトという行政との連携スキームは、彼らに「社会的信用」と「大規模な導入フィールド」を与え、そのテクノロジーを磨き上げる機会となりました。

世界有数の少子高齢化社会である日本が抱える社会課題を解決するソリューションは、そのまま世界が今後直面していく課題の解決策になり得ます。両社が海外展開を強力に推し進めていることは、日本発の課題解決型スタートアップが「キングサーモン企業」としてグローバルに飛躍する十分なポテンシャルを持っていることの証明と言えるでしょう。

行政がフィールドを開放し、スタートアップがそこに革新的なテクノロジーを投下する。この共創による実績は、海外進出を目指すスタートアップにとって、大きなポテンシャルを秘めています。

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