テクノロジーで日本の子育ての変革を後押しする - First-Ascent
2022/04/12
「テクノロジーを活用した育児」と聞くとなんだか遠い未来のことのような気がしますが、現在「ベビーテック」という分野が世界中で大きな注目を集めています。
子育てをテクノロジーに頼って良いのか迷っている方や、自分の親世代との育児環境の違いに戸惑っている方など、社会の中で子供を一緒に育てていく私たち一人ひとりの価値観にやさしく寄り添うベビーテックスタートアップの株式会社ファーストアセント (以下、ファーストアセント)CEO服部伴之氏にお話を伺いました。
Azusa Katsumi
Intern - Kyoto
株式会社ファーストアセント
食事や排泄といった育児に関するデータを記録するアプリ「パパッと育児@赤ちゃん手帳」や、赤ちゃんの泣き声から感情を分析するアルゴリズムなどを通して、子育てを支援する新しいサービスを提供している。 赤ちゃんの起床就寝のリズムを光で形成するデバイス「ainenne」はCES®︎2021 Innovation Awardsを受賞。
服部伴之氏 プロフィール
「テクノロジーで子育てを変える」をミッションに掲げるベビーテックベンチャー、株式会社ファーストアセントの代表取締役CEO。 1998年東京大学大学院工学系研究科修了。株式会社東芝で研究者として従事した後、IT業界へ転身。ベンチャー企業CTO、技術責任者などを経て2012年に株式会社ファーストアセントを創業。
ーーまずは簡単に御社の事業内容についてお聞かせください。
「テクノロジーで子育てを変える」をミッションとして掲げ、2012年に創業しました。今でこそ当社の事業分野は「ベビーテック」と言われていますが、会社を作った時はそのような言葉はありませんでした。私たちは赤ちゃんの泣き声や育児記録といったデータを集めてそのデータから新たなAIプロダクトを作るということを設立当初からおこなっています。育児記録アプリを用いて集めたデータで国立成育医療研究センターと共同研究を実施しています。研究を通じてわかったことなどを利用し、育児記録機能や泣き声診断機能を備えたアプリサービスや、赤ちゃんの寝かしつけを支援するハードウェアなどを作っています。
上段:「ainenne」、下段左:「パパッと育児@赤ちゃん手帳」、下段右:泣き声診断
(写真提供:株式会社ファーストアセント)
ーーピッチではご自身の育児経験から起業されたとおっしゃっていますが、具体的にどんな経験をされたのですか?
育児記録アプリを手がけるにいたった一番象徴的な体験としては、子供が産まれて自分も主体的に育児をやろうと思った時に、子育てに関する知識がなさすぎたことです。たとえば「哺乳瓶って洗って干せばいいんだよね?」と思っていて、消毒しないといけないという常識を知らなかった。そんなふうに「良かれと思ってやったことで赤ちゃんが病気になってしまうかもしれない」と思ったんです。そんなある時、妻が3時間くらい家を空けることになりました。その間に赤ちゃんにミルクを飲ませようとしたのですが、1回で飲ませる適量がわからなかったんです。でも私はそこで素直に妻に聞けなかったんですね。「この人に任せるのは不安だな」と心配させてしまうと思って。そんな時に、もし育児記録を共有していれば「これくらいミルクを飲んでいるんだ」とわかるし、量を間違えていた場合でも妻からすぐに教えてもらえることも期待できるかな、ということを考えて育児記録アプリを始めました。
ただ私自身は育児記録を妻と共有したかったのですが、マーケティングリサーチをした結果、ほとんどのお母さんは育児記録を共有することに抵抗があることがわかりました。当時はあまり育児に関与しない男性が多く、育児記録を共有することで夫から意見だけを言われたくないという方が主流でした。男性も育児をするのがスタンダードになった今では記録を共有してほしいという人たちがほとんどなんですが、当時は本当に「男性に育児記録を管理してほしくない、主体的に育児に関わらない人から批評されたくない」とすごく言われました。そこで当初は共有機能はないままリリースして、その代わり「育児記録の見える化」という形での育児支援をしました。
ーーお話を伺っていて、「育児に関わる男性」という立場からの発想で開発をされたのだなと実感しました。
利用者にヒアリングをしたときに、まさにそういうことを言われたんですよ。「生活を見える化したら便利ですよね」と言ったら、ほとんどのお母さんたちから「私たちはそういうことは求めていません、見える化とか言っているのは男性脳の話です」と言われてしまいました(笑)。その時にそれでも実装しようと決めた理由の一つは、20人くらいから否定された後にある人がぼそっと言ってくれた言葉でした。「私にはそれが便利かどうかはわからないけれど、女性からは生まれない発想だからこそやってみた方がいいと思う」と。
ーー起業されてから他にどんなチャレンジがありましたか?
大変なことだらけでした。当社は「ファーストアセント」という名前ですが、その名前が当社のアイデンティティでもあります。フリークライミングの用語で「初登攀(はつとうはん)」のことを「ファーストアセント」と言って、誰も登っていないルートを初めて開拓したということなんです。なのでサービスを作る時も、「まだこういうサービスはないから僕たちが作ろう」という考え方で進めています。CES(注)などで評価を受けたり、国内外多くの人から面白いと言っていただけたりするのは、前例がない挑戦をしているからなんですよね。だからこそ、何かを作った時に周りから理解していただけないケースは多々あります。一生懸命「こういう意味があるんです」と伝えたり、とりあえず使ってもらったりして、上手くいくこともあれば上手くいかないことも当然あって、苦労の連続でした。
(注)Consumer Electronics Show。全米家電協会(CEA)が主催する、電子機器の見本市。
AIだけでは良い育児には繋がらない
ーー育児記録アプリ「パパッと育児@赤ちゃん手帳」に対する利用者のフィードバックは、どんな頻度でどのように得られているのですか?
ある程度利用頻度の高いユーザーの方からはアンケートフォームで常にご意見をいただけるようにしています。あとは自分たちでマイルストーンを設定し、こういう風にしていった方がいいな、と計画を立てています。
ーー利用者の意見で印象的だったものはありますか?
泣き声診断に対しての意見が多いですね。印象的だったのは耳の不自由な方からのメッセージです。「こうして文字にすることで、私たちが持てなかった赤ちゃんとのコミュニケーションチャネルを作ってくれてありがとう」という声がありました。そういった意見をいただく度に、すごくありがたいなと思います。
ーー泣き声診断の仕組みを教えてください。
音声を解析するアルゴリズムを作っています。赤ちゃんの泣き声を録音して、なぜ泣いたかという原因を分別したラベルをつけてもらい、それを教師データとしています。ただ育児をしている人の主観が必ずしも正しいわけではないので、併せてつけてくれている育児記録と照らし合わせて、そのラベルの確からしさを評価しながらアルゴリズムに結びつけているのが特徴的な点です。
そこで1つ直面している課題があります。以前、泣き声診断で「お腹が空いている」という結果が出る確率がとても高いお子さんがいらっしゃったんです。「お腹が空いている」と出るので、お母さんはおやつを与え続けたんですね。すると定期健診で「すごく体重が増えたけれど、食べさせすぎなんじゃない?」と言われた、と。泣き声診断の結果としては本当にお腹が空いていたのかもしれませんが、食べさせ続けるかどうかは親が判断しないといけないんですよね。本来であれば「食べさせすぎているから遊んであやそうか」というコミュニケーションに移ってもらいたいのですが、そうならないこともある。単純にAIで情報を提供するだけでより良い育児ができるかどうかと言われると難しいです。泣き声診断の精度そのものは向上しているので、それを上手く育児に活かしていただけるようなサービスにしていく必要があります。そこで有識者を交えた情報配信サービスの提供を始めて、AIと人の知見をかけ合わせたプロダクトへとアップデートしているところです。
ーー赤ちゃんの起床就寝リズムを形成するデバイス「ainenne」を開発された経緯をお聞かせください。
育児ストレスの原因は赤ちゃんが泣くことと、赤ちゃんが寝てくれないために自分の睡眠が確保できないことがツートップです。どうやってこの問題解決に取り組もうかと考えていた時に、ディープラーニングという技術が出てきました。画像解析や文字起こしのAIは多くの人が作っていたのですが、赤ちゃんの泣き声から感情を解析するというのは誰も取り組んでいなくて、ファーストアセントらしいなと思い開発を始めました。それで2020年のCESに泣き声診断だけができるハードウェア(「CryAnalyzer Auto」)を持っていったんですね。その時、海外のいろいろな方々と話したところから着想を得て「ainenne」を開発しました。「泣く」と「睡眠」という2大問題の解決への取り組みでここまできた形です。
ーー2020年、2021年とCESに出展されていますが、最初はどんな経緯で出展されたのですか?
CESは「ベビーテック」というキーワードが一番最初に出てきたところなのでずっと行きたいと思っていたのですが、赤ちゃんの泣き声を枕元で診断するハードウェアを作れるとなったので、チャンスだと思いました。とはいえ単独で出展するのはハードルが高いなと思っていたところ、当社が出展した前年からJETROさんがジャパンブースという日本のベンチャーを集めたブースを作ってくれたんです。これならいけるぞと思ってそれ以来全力でハードウェアを作って出展しました。
おかげで「ainenne」を海外で販売したいという方が結構いらっしゃることがわかったので、まずはアメリカの会社と話をしています。
CES®︎2020でのファーストアセントのブース
(写真提供:株式会社ファーストアセント)
テクノロジーを活用して日本なりの良い育児を
ーーPlug and Play Japanのプログラムに参加してよかったことはありますか?
いろいろな会社と繋げていただいていて、Healthプログラムで出会った2社とお話させていただいています。Insurtechでも何社かときちんとしたお話ができているので、とても感謝しています。
ーー日本のベビーテック業界が今後どのようになっていけばいいとお考えですか?
欧米と日本では「育児におけるテクノロジーの活用」ということに対しての感覚が大きく違います。私がCESに出展した時、見守りカメラを使っている方に「私が子供の頃は、親は隣の部屋にいて子ども部屋を見る術はなかった。今私も同じように隣の部屋に自分の子供を寝かせているけれど、スマートフォンで見守ることができている。私の親の時代より安全な子育てをしている」と言われたんです。テクノロジーのおかげで育児環境がアップデートされている、とすごくポジティブに捉えられているんですね。一方で、日本にはなるべく頑張って自分たちの目で見守り続ける方が良い育児だ、という価値観があると感じています。そういう価値観に対して、「こういうツールを使ったらより良くなったな」ということを少しずつ実感してもらって、テクノロジーを活用した、日本なりのより良い育児ができるようにしていきたいなと思っています。「どうして見守りカメラを使わないんですか」などと正攻法で攻めていってもなかなか変わらないと思うので、テクノロジーでみんなの価値観が変わっていく後押しをして、子育ての環境を変えていけたらなと思います。
(写真提供:株式会社ファーストアセント)
服部氏のおっしゃる通り、昔ながらのアナログな方法が良しとされる風潮は、育児に限らず日本社会では根強いように思います。
どんな子育てをするかは各家庭で自由に決めることですが、「テクノロジー」という選択肢によって救われる親御さんはたくさんいるのではないでしょうか。
いずれは子供を育てたいと思う私個人としても、お話を伺って将来が少し明るく見えた気がしました。
ちなみに社名の「ファーストアセント」は登山用語とのことですが、服部氏は独身の頃趣味でフリークライミングをされていて、日帰りで長野の山まで行ったりもされていたそうです!
実体験を交えた非常に興味深いお話をお聞かせくださり、本当にありがとうございました!