精密発酵の最前線ー2024年のグローバル動向考察
2024/04/03
数年前からの海外スタートアップによる資金調達の盛り上がりを機に、日本国内でも注目され始めた「精密発酵」。スケールアップ等の課題は依然として残る部分があるものの、最近になり、規制承認や技術面での進展も顕著になってきました。本記事では、精密発酵分野における2024年現在のグローバル動向を、大手企業とスタートアップ両方の観点から考察します。
[目次]
- はじめに
- 精密発酵に関連した3つの直近の動き
- 先駆的プレーヤー「Perfect Day」の動きから推測できること
- GRAS認証取得企業の増加
- スケールアップを生業とする企業の躍進
- 最後に
(Photo by Pixabay)
Writer: Sohma Yoshitake
Director, Food & Beverage / Ventures Associate
はじめに
精密発酵(Precision Fermentation)が世の中に概念として広まってから久しいと感じる人も少くないでしょう。精密発酵は、微生物に遺伝子組換えを施すことで生合成経路を構成し、その微生物による発酵(代謝)によって、特定の物質を生産する合成生物学的なアプローチです。元来は、インスリンの生産など医療向けの応用がなされていましたが、主に技術的なコストが低減してきたことによって、食品分野での応用が始まっています。
そんな精密発酵は、動物性のタンパク質から着色料、植物性の希少成分やはちみつ、脂肪まで非常に多岐に渡るアウトプットの生産が可能になってきました。中でもその応用が浸透していきやすいターゲットには、以下のような要素が関連しているケースが多く見受けられます。
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- 生産・供給にあたり、環境負荷が大きいとされること
- 資源の希少性や生成のための技術的なハードルが高くコストが高いこと
- 供給力の安定性を高める必要性が高いこと
特に、近年の気候変動による脱炭素化と食料安定供給ニーズに対するアプローチ、また消費者サイドの健康意識へのさらなる高まりに応えるために促進されつつあるというのがこの技術の現状です。
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精密発酵に関連した3つの直近の動き
直近では技術的及び商業的な観点での動きがありました。その中から3つのトピックに絞って記載します。
先駆的プレーヤー「Perfect Day」の動きから推測できること
数多くある精密発酵技術のアウトプットとして、最もスタートアップの数が多いのはDairy、いわゆる乳製品)に関連した部分で、乳たんぱくと総称されるホエイやカゼインの生産を畜産業無しに代替的に実施していこうという動きです。この領域は、単に市場規模が巨大なだけではなく、畜産業に由来する環境面のインパクトも大きく、応用先の一つとして大きな注目を集めてきました。中でもそのトップを走ると言われているのが、米国を拠点とするPerfectDayです。2014年に創業した同社は、乳タンパク質のうち、特にホエイの生産にフォーカスした事業を展開しています。創業から10年でステージはPre-Series E、合計調達額は800億ドル(2024年3月現在のレートでは約1,200億円)にも上り、最も上場に近い精密発酵系スタートアップと言われることも少なくありません。
そんなPerfect Dayは、いち早く米国内でのGRAS認証を取得し、ネスレやユニリーバといった大手食品企業との商品開発を進めてきました。直近のPre-Series Eの資金調達ではその発表と同時に、CEOの交代やB2Bビジネスへのフォーカス等がアナウンスされています。新CEOの経歴を見るに、技術的には一定レベルの成熟度が達成された今、Exitに向けよりビジネス面で会社の成長が求められている結果としてこのような動きが出てきた可能性が推測されます。
また、このように代替的に原料を生産していくスタートアップにとっては、B2Bビジネスの基盤が非常に重要であることがわかります。消費者からの信頼がある大手と共同で研究開発を進めて、徐々にマーケットに対して浸透させていく、このような戦略がカギとなる場合が多く見受けられます。
また、大手企業との提携はブランドイメージの活用のみにとどまらず、大手企業の保有資産(バイオリアクター等)の活用と、スタートアップのCapEx(初期投資額)の低減が同時に実現される点など、多くのメリットが存在します。この点に関しては意思決定や自由度などの観点から、スタートアップが大手企業と提携することなく自らの力のみでブランド作りを進め、認知を取った後にB2Bの原料供給を事業として始めていく、というプランを持つ企業も少くありません。対象にする原料や技術の成熟度などに依る部分が大きく、正解が決まっているわけではありませんが、技術面だけでなく消費者との直接のコミュニケーションが必要になるなど、スタートアップにとって必要なリソースは増大するため、経営状況等からも総合的な判断を下す必要があると考えます。
現在のPerfectDayの株主となっているベンチャーキャピタルは、資金運用が本業であることから、技術やマーケットとしての将来性が認められて初めてベンチャーマネーを投資することができます。そして、一定レベルのサイズまで成長した前例があるということは、今後の産業そのものが資金調達を行うにあたりかなりポジティブに動くと予測できます。数を見てもここ数年で確実に増加している精密発酵系のスタートアップですが、彼らの今後の動きが後続のスタートアップにとっての先行指標となることは間違いありません。
GRAS認証取得企業の増加
精密発酵を活用した食品生産を行う場合、生産した原料を食品の中に組み込むというアプローチになる特性上、認証を受けることで製品展開がより容易になります。そのプロセス上で重要と言われているのが米国のGRAS(Generally Regarded As Safe)認証です。この認証を取得することで、対象の原料は「食品添加物ではない」との認識がなされるようになります。そして米国は世界有数の乳製品をはじめ食品産業においても巨大な市場を誇ることから、代替的に原料を生産しているスタートアップは、米国のGRAS認証を最初のターゲットとして選択する場合が多くなります。
このGRAS認証について、当該領域における取得企業はつい最近までは上述のPerfectDay社やイスラエルのRemilk社が代表的な2社でした。それが2023年に入って以降、同じホエイではImagindaily社やVivici社が、加えてNew Culture社のカゼイン、TurtleTree社のラクトフェリン、Oobli(旧Joywell Foods)社やSweegen社の甘味料など、さまざまな企業があらゆる成分で認証を取得し、その上市に向けた動きを加速させています。これまで技術水準のみがスタートアップの評価の大半を占めていたこの精密発酵領域でしたが、今後、対象となる原料によっては一層競争の原理が働き、認証を取得できていることは前提のうえで、コスト等の観点で自社特有の価値提供が求められるようになると予想されます。
スケールアップを生業とする企業の躍進
現在のスタートアップにとっての最大の課題は、ラボスケールでの実現に成功した後のスケールアップです。具体的には数百、数千、数万リットルというサイズのバイオリアクターで諸反応を再現していくことが求められます。そしてこのスケールアップには、ラボスケールでの実現とは異なったスキルやノウハウが必要とされます。また、自社ですべての設備を持つとなった場合には、非常に高額な初期投資が必要とされ、調達資金も限定的である創業間もないスタートアップにとってその成長の足かせとなる場合も少なくありません。
グローバルでは高まる精密発酵技術に対する期待と、スケールアップの実現可能性に関するジレンマを機会として捉えた事業も目立つようになってきました。シンガポールのScaleUp Bioや、米国のBoston BioやMycoTechnologyなどは、このスケールアップに特化した機能を提供する事業を展開しています。中でもScaleUp Bioは、直近でシンガポールのAllozymes社やAlgrow Biosciences社、カナダのTerra Bioindustries社や英国のArgento Labs社等とのLOI締結を発表するなど、グローバルでも大きな注目を集め、そのソリューションに対する世界的なニーズの大きさを表しています。
このような動きは同じ細胞性の食品生産アプローチである細胞培養の業界でも見られる動きです。これまで、外部企業との提携はあれど大量生産までを一貫してどのように実施するか、といういわば「サプライチェーン全体をどう構築すべきか」という問いに対する答えが求められがちな領域でしたが、当初と比較するとスタートアップとして達成すべき役割が明確かつ限定的になり、リソースの選択と集中がしやすくなってきたのではないかと考えます。一方、ノウハウの流出や収益性の観点からなるべく自社で完結させることを目指すべきという考え方も重要な観点であり、このあたりを戦略としてどのように採用していくのかの判断は、今後、スタートアップに求められていくことになるでしょう。
最後に
Plug and Play Japanでは2022年11月に、日本細胞農業協会との共催で日本で初めての精密発酵に特化したスタートアップイベントを実施しました。会場及びオンラインでの参加を併せると200名近くの方にご登録をいただき、非常に注目されている技術であることを実感いたしました。その後、精密発酵については日本国内でも多くの海外の記事が和訳され、従来以上に多くの情報に触れられるようになりましたが、先進的な海外のスタートアップと日本企業間との提携は未だ表立ってアナウンスされたものは無いように見受けられます。
そんな中、今あえてこのレポートを書こうとしたのは、ここ1年半で技術的にも商業的にも確実に進展してきている最新の状況をまとめることにより、改めてこの機会に、精密発酵との関わり方を考える参考にしていただけるのではないかと考えたためです。精密発酵は着実に消費者に対して新たな一つの選択肢を提供するための技術として進歩しつつあります。本レポートが、当該エリアでの起業や協業等をご検討するうえでの参考になりましたら大変うれしいです。